2011年12月26日月曜日

3人暮らし

奥さんの病気はまだ治ったわけではないが、一応今月の上旬に退院しました。薬(ステロイド)の副作用のせいか、ものすごくテキパキしている。以前はあまり家のことを関わらなかったが、いろいろキッチン用品とか、リビング用品とか、飾りとか、生活が楽、便利になるものをどんどん買っていました。

清貧の暮らしをするにはやっぱり家族の理解、協力が必要で、なかなか普通の人にはできる(やりたい)話ではないことを痛感しました。しかしとにかくまた家族3人で暮らせることは幸せです。

2011年11月23日水曜日

奥さんが入院

奥さんが入院してもうすぐ2週間を経とうとしています、この調子ではさらに2週間ぐらいの入院になるでしょう。ネフローゼ症候群といって、腎臓の病気です、お腹と足に浮腫みが出る以外、いたって健康ですが。

一日2回のお見舞い、それから子供の面倒を見なければならないので、若干ばたばたしています。子供は病室に入れないので、お見舞いの時に母親か兄弟に預けます。こういう時にやっぱり近くに親、兄弟がいると、いろいろ助けられるから、心強いです。私は普段仕事をしているわけではないので、なるべく多くの時間を使って、奥さん、子供に費やします。会社に属しない方がいろいろ自由が利くだなと改めて思います。

マレーシアの医療(医療レベル、医療保険など)は全然日本に及ばないと思いますが、ここに来たからには、素直に受け入れるしかありません。

2011年11月4日金曜日

日本食

普段ほとんど私がご飯を作っています、基本的に毎日似たようなものばっかりですが、最近奥さんが若干重い病気を患っているので、病人のリクエストに応えるためにいろいろ不慣れなものにチャレンジしました。

先日赤飯を作りましたが、昨日はちらし寿司でした。


日本食は確かに懐かしいのですが、私はマレーシアで食べたいとはあまり思っていません。やっぱり材料などが異なるので、本場の味とは一味違います。

今度日本に行くとき思い切り食べたいです。ラーメン、焼肉、。。。

2011年11月3日木曜日

睡眠-睡眠時間帯

東洋医学の中では、五臓六腑にはそれぞれの運行時間(もっとも活発に働く時間)があるとされています。

具体的に以下の通りです。

01-03 肝臓
03-05 肺
05-07 大腸
07-09 胃
09-11 脾臓・膵臓
11-13 心臓
13-15 小腸
15-17 膀胱
17-19 腎臓
19-21 心臓の収縮筋(心包)
21-23 三焦
23-01 胆嚢

これらの運行時間をうまく利用して最大限に発揮するのではなく、逆にこの時間帯に休むことにより、内臓にも休息させ、少しでも臓器の健康に繋がります(別に私は医者じゃありませんが^^;)。

ここでは23時~の胆嚢、1時~の肝臓は血液を掃除したり、調節したりする血液関係で、3時~の肺臓は呼吸、気に関係します。すなわち23時~5時に寝ていると、血液と気を両方休める効果が高まるので、良い睡眠が取れるとされています。

前回ベストな睡眠時間は7時間半と言いましたので、この時間帯の6時間を含めばそれでよいです。ちなみに私は9時半~5時に寝るように心がけています。

ここでもう一つ注意して欲しいのは7時から11時の胃、膵臓、いわゆる消化に関わる臓器で、一部の東洋医学の先生もよくこの胃の運行時間に朝食を食べるのは一番良いという話はありますが、私は逆に先にも言ったようにこの時間こそ胃を休ませなければならないと思いますので、朝食を食べるべきではないと思います。私が朝食を食べなくなったのはこれを知る前でしたので、これを知ってますます心強くなりました。

2011年11月2日水曜日

睡眠-睡眠時間

人間にとってもっとも良い睡眠時間はどのぐらいか?そしてその時間帯はいつなのか?恐らくいまだに明確な答えはないと思います。

私の長年の研究で導いた理論を述べたいと思います^^;。

まず睡眠のメカニズムについて、詳しく「ノンレム睡眠」と「レム睡眠」を調べれば分かると思いますので、ここでは割愛いたします。人間の睡眠のリズムは平均で約1.5時間で繰り返します。すなわち1時間半、3時間、4時間半、6時間、7時間半、~を寝れば一番目覚めが良いです。そしてもっとも深い眠りであるレベル4に到達するのは、眠り始めてから2時間半のところで、すなわち良い眠りは最低3時間が必要であることが分かります。

ここまではいわゆる一般の睡眠の知識です。

では寝る時間がもったいないので、3時間を寝ればよいかというと、1965年にフロリダ大学の教授が実験をしたところ、3時間以下の睡眠を続けていくと、睡眠の不足により、視覚関連の仕事でミスがかなり増えてしまうことが明らかになりました。しかし私が読んだことのある「3時間睡眠法」(これらしいタイトル)によると、あるプロセスにしたがって実践すれば、ちゃんと3時間の睡眠でも問題ないそうです。

では4時間半はどうだろう?これも1993年にチューリッヒ大学の教授が1日4時間(4時間半ではない)睡眠を続ける実験をしました。結論をいうと、若干の睡眠不足ですが、4日間続けて、1日だけ通常の長さ(通常の長さとは何時間だろう?7、8時間かな)の睡眠を取れば、その不足分を回復できるということです。

なんだかんだ言って、結局統計上において7時間を寝る人が一番長生きであることです。よく1日3、4時間しか寝なければ、人より1日の時間が多く他の事に使えると言いますが、結局一生涯から見ると、逆に短くなる可能性がありますね。

睡眠時間についての私なりの結論ですが、もっとも良い長さは7時間半で、最大限の睡眠時間を削りたい人は、平日は4時間半で、週末7時間半を寝ることです。

次回は睡眠の時間帯について書きます。

2011年10月31日月曜日

しないこと

2年前のクリスマスの少し前、私は非常に落ち込んでいました、とても家には居られなくて、近所の本屋へ出かけました。それまでほとんどスローライフの本を読まなかったのですが、少しでも心を落ち着かせるため、それ関連の本を手に取り、立ち読みしました。

その時に出会ったのはこの一冊でした(後日別の本屋で購入しました)。

私は今まですることのためにいろいろ頑張ってきました、高い学歴、申し分のない収入を手にしました。しかしまさにこの本の帯に書いてあるように、「すること」に追い回される人生でした。

たとえば、私は以前とても時間が足りないと思って、”3時間睡眠”の本を読み、本気で実践しました。しかし、さすがに睡魔には勝てず一日で挫折しました(それによると、まず24時間を寝ないことから始める)。

この本に出会ってから(これがきっかけで、いろいろな本を読みました)、私は少しずつゆとりを持つようになり、私なりの人生の意義を悟るようになりました。

ちなみに今では睡眠のメカニズムと東洋医学と統計学を合わせ、夜9時半から朝5時までの7時間半の睡眠を取っています(これについて今後書きます)。

しないことによって、ものを買わなくて済みました。しないことによって、多くのお金が必要なくなりました。しないことによって、時間の余裕ができました。しないことによって、人生が楽しめるようになりました。

ちなみにその年、そして翌年のクリスマスはじぃさんと二人で過ごしました、別にそういう趣味はありませんが^^;。今年のクリスマスでは私は家族と過ごすでしょうが、じぃさんもぜひ将来になる家族と過ごしてください。。。

2011年10月28日金曜日

手提電話

昨日の夕方に携帯電話についてのブログを書こうと思って、自分の携帯電話の写真を取ろうとしたら、いつも携帯電話を置いてある場所に携帯電話がない!もしかして、もしかすると、やっぱりありました、洗濯タライの中にありました。。。(手洗いなので、一旦タライに洗濯物を浸け置きする)

隣国のタイでは街中が水没で大変のようですが、こちらは携帯電話が水没して大変気持ちがBiru(ビル、マレー語は青の意味)です。

今日妹から要らない古い電話機をもらって(借りて?)、自分のシムカードを入れ、一応復活しました。あまり詳しく分かりませんが(詳しく知りたい気もないのですが)、機種変更の場合、日本では携帯電話ショップに行って、何かいろいろいじってもらわなければならなかったのですが(もしかして新しい世代の携帯電話は必要ないのかもしれませんが)、ここでは単にシムカードを入れれば、すぐに使えます。

左が水没した前の携帯電話で、右が女性っぽくピンク色の古い新しい携帯です。

世の中スマートフォンが流行っているようですが、いっそうのことスマートフォンに変えようと思った--ーことは一度もありません。逆にこれを機に携帯電話を止めようと思いましたが、まぁ、なかなかそう簡単には行きません。

でも日本にいたときに比べますと、携帯電話への依存率がものすごく減りました。インターネットは設定すれば使えるらしいのですが使いませんし、Eメールもできないようです。使っているのは通話とSMS(日本でいうショートメール)だけ、しかもSMSは中国語の入力があまり得意ではないし、ここの文化もメールより直接話す方がほとんどですので、本当に原始的な使い方です。

昨日”年収100万円で幸せに暮らす”というネットニュースを目にしました、清貧の暮らしをするなら、決して難しいことではありません、携帯電話の例を取りますと、スマートフォンにより、生活が便利になりましたが、端末の代金、月々の通信料のために、さらに多くのお金が必要になります。それをいうと、普通の携帯電話でも若干少ないのですが、端末の代金と月々の通話料がかかります。そういう意味では、私はまだ本当の清貧の暮らしをしていないのかもしれません。

2011年10月15日土曜日

じぃが来た-別れはいつもつらい

最終日の朝、私がホテルに合流し、2人分の朝食付きなので、いただいちゃいました。

ホテルをチャックアウトした後、かつて日本人グラブのあるところに行きました。放浪詩人金子光晴がバトゥパハットやこの日本人クラブのことについて著書「マレー蘭印紀行」の中で書かれています(金子光晴 日本人クラブ を検索すると、もっといっぱい情報が出てきます)。

もちろん私も持っています。少し日本語的に難しいですが、何とか読めました。


ここの3階の角部屋は金子光晴がここに来ると必ず泊まる旧日本人クラブです、今はツバメの養殖場となっていますので、上には上がれません。

 旧日本人クラブの建物の目の前は税関です(この日まで知りませんでした--;)、金子さんはよくここで他のアジアの国とバトゥパハットを行き来していたそうです。


その後もやは定番コースとなっているパーム園の見学、昼食を取った後若干の買い物をして、この4日間の旅でだいぶお疲れのじぃ(お年寄りですから。。。)のために、泰式マッサージを受けに連れて行きました(1時間半のコースで約2千円ちょっと、私は受けませんでした)。

午後4時、クアラルンプール行きのバスに乗って、じぃが去りました。

この4日間は私の平凡な日々に少しだけ変化をもたらしました、でもすぐまた平凡な日々が続くでしょう。ぜひまた来てください、一人ではなく。。。(この話はもういいです)、そしてバトゥパハットはもう見るものはないので、違うところに行きましょう^^;。

完

2011年10月14日金曜日

じぃが来た-初めてのバトゥパハット

マラッカからのバスは2時間ほどでバトゥパハットに着きました、KLからマラッカも同じく2時間ですので、マラッカはまさにKLとバトゥパハットの中間点です。ちなみにKLから直接バトゥパハットに行く場合は、約3時間で済みます。

マレーシアが4、5回目のじぃでも、さすがにバトゥパハットは初めてでした。バスターミナルから歩いて2、3分にあるホテルに予約なしでチェックインしました。ちなみに料金は1~2人(2人分の朝食付き)で約2,600円でした。いわゆる”ホテル”であれば、このぐらいが一番安く、”旅館”であれば千円ぐらいで泊まれます(この晩はじぃだけホテルに泊まり、私は家に帰ります)。

歩いて10分ぐらいのところでワンタン麺を食べたあと、買い物ツアーが始まります。日本人から見ると、ここの物価は実に安いです(物にもよりますが)。じぃは物が溢れているねって言ってました、そうです、マレーシアも大量生産の時代に入りました。

夕方はうちの奥さんと子供も一緒で、バトゥパハット川沿いのフードコードで晩御飯を取りました。

夕日の写真を撮るじぃの姿が何気に侘しい感じがします(またか)。

 ここのフードコードは小さい時に父がよく連れててくれた。

その晩ホテルの部屋でまた語りながら赤ワインを1本飲み干しました(これで三日連続の赤ワインでした、私の人生の中では恐らく経験したことがなかった。。。)。

つづく

2011年10月13日木曜日

じぃが来た-マラッカ観光

マラッカに向かったのは、最終目的地であるバトゥパハットの中間点で、それに世界遺産がありますので、観光にうってつけの地です。実は妹が独りでマラッカに3LDKの家に住んでいるので、その晩の宿代が節約できるのです^^;。

マラッカに着いたのは夜の7時半で、妹に車で迎えに来てもらい、じぃのリクエストで、ニョニャ料理を食べに行きます。晩かったせいで、食べたいご飯ものが売り切れたが、何とかニョニャの麺を口にできました。

その晩、妹の家で3人でまた赤ワインをほぼ1本飲み干しました(これで二晩連続の赤ワインです)。

次の朝、これまたじぃたってのリクエストで、屋台でナシレマ(ココナツ入りご飯)、焼き魚、ロティチャナイを食べました。

それからマラッカといえばここという場所に行きました(以前にも紹介しました)、正直文化遺産自体はあまり大したことはないのですが、世界文化遺産に登録したことで、周辺の発展が凄まじく、町が随分きれいになりました。ここはKLとはまた一味が違うので、マレーシアに来るならぜひ行って欲しいところです。
 

じぃの寂しげな後姿です、ぜひ終身の伴侶を見つけて、二人で旅をしてください(大きなお世話か)。

結局マラッカ観光は2時間ほどで終わらせ、11時の長距離バスに乗ってバトゥパハットに向かいました。

つづく

2011年10月12日水曜日

じぃが来た-KL観光

次の日、ホテルの朝食(定番のビュッフェ)を済ませた後、さてどこへ行こうかと悩みます。じぃはすでにマレーシアは4、5回目で、私もあまり観光に興味ないのですが、滅多に来ないクアラルンプールにせっかく来たので、どこか行こうと、私が日本から持って帰った日本語のガイドブック--;を見て、観光する場所を決めますが、決まりませんでした。。。

じぃの提案で、KLタワーに登ろうということですが、料金が高い(38リンギット、約千円)ので、私が却下しました^^;。とりあえず同じ高いということで、名物のペトロナスツインタワーのタワー間にあるスカイブリッジに向かいました、当然これはただです。ホテルから一駅のKLCC駅に降り、
駅ビル?(タワーの一部らしい)になじみの店がいっぱいありました。

とりあえず写真に収めたのはこちらです。

ツインタワーに着き、目にした看板によると、スカイブリッジは改装のため閉鎖中だそうです(ウィキペディアにも書いてありますね)、が~ん。

最終的に観光巡回バスに乗りましたが、これが大ヒットです。ちなみに料金は24時間乗り放題で観光客が約千円で、マイカード所持の人は(国民や就労ビザ者など)その半額です。

時間はあまりないので、ほとんど降りませんでしたが、唯一行ったのはナショナルモスクでした。
(じぃに見とけって言われましたから^^;)

違う角度の写真です。

短パン、タンクトップなど露出の多い服装だと、こんな被り物をさせられます(私たちはセーフでした)。

お祈りの広場です、ステンドグラスなどの内装がその国の文化を演出します。

リゾート地に行くのが目的ではなく、マレーシアを観光するなら、この観光巡回バスが超おススメです。

午前中いっぱいはこのバスに乗って、昼食はホテルの近くで取りました。道路の渋滞、電車の遅延とかはありましたが、TBSで長距離バスでマラッカに向かいました。

2011年10月11日火曜日

じぃが来た-久々の再開

飛行機の到着まであと3時間、この日はまだ野菜ジュース1杯しか飲んでませんので、とりあえずフードコードに行き、何か食べ物を探します。最初はトムヤムスープを注文しましたが、店員さんがお金を数えていて、シカトされました。そこをやめてデザートコーナーで並びましたが、店員さんが私よりあとに来た人の注文を取り、腹が立って食事をやめました。しばらく空港ロービーでうろうろして、やっぱりおなかがすきますので、再度先ほどのデザートコーナーに並び、やっと自分の番になって注文したら、同じコーナーの違うカウンタで頼んでって言われました。
(日本が懐かしいT_T)

結局何も食わず、ひたすら飛行機の到着を待ちました。

じぃとは私が日本を離れる4月5日の見送りに来ていただきましたので、ちょうど半年ぶりの再開となりました。

空港からホテルまでタクシーを利用しました、実は2人以上の場合電車よりも料金が安いです。タクシーは空港内のタクシーチケットカウンターで行き先を告げ、チケットを買い、タクシーの運転手さんに渡すだけ、ぼられる心配は全くありません。

泊まったのはこちら、元日航ホテルのインターコンチネンタルホテル(五つ星)です。

料金は高いと思うでしょうが、高いです、少なくとも私にとってです。この一生は泊まることはないだろうと思いましたが、じぃのおかげさまで、いい思いをさせていただきました。ちなみに朝食2人分を追加して一泊1万円、日本に比べるとずいぶん安いでしょう。マレーシアのホテルは部屋数で料金が決まりますので、1人でも2人でも基本的に料金は同じです。

ホテルにチェックインのあと、近くの店でローカル料理を食べ、その晩部屋の中で会社のことやら何やら語りながら、赤ワイン1本を飲み干しました。

2011年10月10日月曜日

じぃが来た-KLへGO!

最近ブログの更新が滞っている?実にいいことです、あまりネットに頼らない生活を目指していますから。

先週の金曜日(10/7)に、私が勤めていた会社の当時の上司”じぃ”がわざわざ私を訪ねにマレーシアに来てくださいました。この日に来ることは1年前に知っていました、私が会社を辞める前にすでにチケットを予約し、再開の約束をしていました。

会社に入ったら年休が取れない恐れがあり、じぃをいろいろ案内するため、来るまで会社に就職しないことにしました(すみません、ウソです)。

約17時着の便ですが、だいぶ余裕の持って、10時にバトゥパハットからバスに乗ってクアラルンプールの国際空港(KLIA)に出向きました。

バスはノンストップで3時間弱でバスターミナルに着きます、このターミナルは今年にできたばかりで、その名もTBS(Terminal Bersepadu Selatan、南統合ターミナル)です。

中に入りますと、空港と見間違えるほど、大型のフライト(ラン)情報のスクリーンが目の当たりにします。

チケット売り場も立派です。 

そして入り口に警備員(警察?)、チケットを持ってないと入れないこの完備したセキュリティ。

TBSから橋一本を渡って、そこは電車乗り場です。KLIAへは日本でいうスカイライナーか成田エクスプレスのような特急電車しかなく、料金がめちゃくちゃ高いです。30分に1本のペースで所要時間も30分ぐらいいです。

KLIAに着いたのは約14時です、17時前あと3時間、さてどうやって時間をつぶそうかな。


つづく

2011年10月2日日曜日

同化

妹が先週から海外へ遊びに行ってた関係で、結婚用品店の留守番を頼まれました(もちろん無賃である)。接客だけなら別に問題ないですが、いろいろある結婚のしきたりが良く分からないので、ハラハラドキドキで、何とかこの一週間を持ちこたえてきました。

先日、店を開けに行った時、ちょうどバイトのおばさんが、旦那さんの運転するバイクに乗って現れました。次の日に、おばさんが私にこう言いました。昨日家に帰ったら、主人に何で君の働いている店に日本人を雇ったのって言われました。

マレーシアに戻ってから、たまに日本人によく似てるねって言われました、しかし、それは日本に20年間暮らしてたという話をして、恐らく先入観でそう感じたのだと思います。しかしバイトのおばさんの旦那さんには、私のことについて全く分からなかったのにそういう風に言われると、やはり私には日本人の雰囲気をしているのかな。。。別に禿げてないし、七三分けしてるわけでもないし、ちょび髭あるわけでもないし(失礼なぁ)。

これから真のマレーシア人に戻りつつあります。。。

2011年9月27日火曜日

始動

最近ずっと勉強をしています。勉強といっても大したことではありませんが、これを何遍も読んでいます。


そして、ハーバード大学の公開教室である政治哲学「正義」を映像で習っています。

これらを高校教育の中で取り入れられないかと考えています。

日本の教育についてはあまり分かりませんが、こちらでは先生が教科書の中身を一方的に学生に伝授するのが基本で、学生に卒業後に行う全国統一試験に高い点数を取らせるのが目的のようにも見えます。

私は学生たちがこれから社会に出るにあたり、いろんな物事に直面する時、それをいかに対応するかを自ら考え、是非を議論する場が必要だと考え、また そのために備えられるべき人格を身に付けることが重要だと考えています。

7つの習慣は、テクニックでも手法でもありません、それは人としての基礎であり、自然の原則だと思います。ただし、それも一方的に教え込むのではなく、学生たちが自ら「発見」することが大事だと思います。

議論を中心とした形の授業で、7つの習慣をベースとする内容をこれから高校教育に必要だと思います。と思ったら、私の理念と全く同じではないかもしれませんが、すでに日本では取り入れているようです。

これは新しいチャレンジです。「ソース」によれば、自分が心からやりたいことをやるのが責任です、私はこれから小さい一歩を踏み出すでしょう。

2011年9月20日火曜日

電気製品(キッチン)

言っておきますが、私は311の大震災、あるいは原発事故の影響で、極力電気に頼らない生活をするようになったわけではありません。これらの出来事で、改めて私がやろうとしていることが正しいと強く感じました。

独り身ではないので、自分がこう考えても、家族の協力が得られなければ、なかなか実現が難しいところではありますが。。。

我が家のキッチンにある電気製品を紹介します。

・冷蔵庫

・洗濯機(奥さんと子供の服の洗濯のみ使用)

・ミキサー(左の方、ジューサーのつもりで買ったが、使えないので、普通のミキサーとして使っている、正直要らないと思いますが)

・ジューサー(右の方、実家から無期限レンタル、毎朝にんじん+りんごのジュースを作っている。すりおろし器ですって搾るという手はありますが、大変すぎる)

・扇風機(家主さんが残したもの、キッチンだけシーリングファンが付いてないので、ここで使用)

我が家ではいわゆる一般家庭にある電気炊飯器も電子レンジもありません。電子炊飯器の代わりに土鍋でご飯を炊きます。電子レンジの主な機能である解凍、温めですが、解凍は前もって冷凍庫から出し、自然解凍させ、それでもだめなら、水を流します。温めはフライパンに水を入れおわんを逆さまにして台を作り、その上に皿を載せ温めたいものを載せて蓋を閉めれば十分代用できます。

マレーシアでは2016年に原子力発電所を計画する予定だそうですが、私は別に原子力発電所じゃなくてもこれ以上の発電所は要らないと思います。私は私のできることをやっているだけです。

2011年9月14日水曜日

厠所

トイレの話ですが、少し前に目にした記事で、トイレを汚さないために最近”小”でも座って済ます男の人が増えているみたいです。

私は反対とまでは言いませんが、やはり男は立ってするものだと思います^^;。ただし例外の時もあります、夜中です。電気をつけるとまぶしくて目が覚めるので、明かりのない中で立ってやるとかなりの確率で便器周りか床を汚すので、そういう時は仕方なく座ってやります。なかなか女性には分からないと思いますが、電気があっても汚すものです、何でかというと、まぁ、なんというか、なかなかコントロールできないものですから。。。男は自ら汚すと、自らの手できれいにする、それは最低限の義務です、私はいつもトイレットペーパーで掃除をしていました。

しかし、よく考えると、昔の和式トイレは水で洗えるようになっていますが、最近の日本の洋式トイレはどうしてそれができないようにしたのか?床はクッションフロアだし、排水口もありません。もし水洗いができれば、汚した時に水で簡単に掃除ができ、非常に楽のはずです。

ちなみに我が家ではトイレが二つあり、和式と洋式一つずつです。

何の変哲もない和式トイレです、水を汲んでおき、いつでも掃除できます。

洋式トイレも床がタイルで、当然排水口もあります。

私は日本の洋式トイレが水洗いできない理由は文明、すなわち技術の進歩のせいではないかと思います。それは洗浄便座(ウォッシュレット)が付いているから、自然的にコンセントが必要で、コンセントがあると、水にふれるというわけには行きません。

しかし洗浄便座はなかなかいいもんですね、私も約10年ぐらいその恩恵を受け、その快適さ、洗浄力から放せない、もうすっかり文明人になってしまいました。

とはいえ、ここではほとんど洗浄便座は見かけません、それにトイレにコンセントもないし、もう極力電気に依存しない生活って決めたからには割り切るしかありません。

実はそれを見越して、マレーシアに戻る時にひそかに(正々堂々ですが)秘密兵器を持って帰りました。


手動ウォッシュレット1号機です。

こちらは2号機です。


これで電気に頼らなくても、その快適さ、洗浄力は変わりません。

2011年9月10日土曜日

灯籠

旧暦の八月十五日(来週の月曜日)は中秋節で、この日あたりに日本でもおなじみの月餅を食べるという風習があり、もう一つ灯籠を持って遊ぶという風習もあります。

灯籠というと、日本庭園の石灯籠、または灯籠流しが思い浮かべますが、ここの灯籠は形的に灯籠流しに使う灯籠が近いですが、流しません。

真ん中にロウソクを立てる金具があり、

引っ張るとこんな感じになります。

最近(というか、私が子供の時である30年前から)は電池のものも流行っています、ロウソクだと危ないとか、面倒くさいとかありますが、私はやっぱり伝統的なこういう形の灯籠が好きです。

昨日高校の先生である三番目の兄の学校で、中秋節のイベントがあり、参加者は学校関係者限定でしたが、一応親族という身分で行ってきました。

ゆうりも楽しそうに遊んでいました。

それからメインイベントは手作り灯籠大会です、建前では子供が作るという前提ですが、ほとんど親が作っています。ちなみに私も参加しました、さて、どれでしょうか?

製作時間約30分、費用0円、主な材料は空き缶詰、ペットボトルです。

優秀賞でプーさんの文房具をゲットしました(参加者が16名で、1、2、3位以外10名が優秀賞で、3名が普通賞)。

2011年9月6日火曜日

ご飯

うちには病人がいるので、ほとんど私がご飯を作ります^^;。別に嫌いじゃないし、それに自分が食べたいものが作れます。もっというと、自分のご飯は自分の手で作る喜びを感じ、何より有意義です。

そんな私が作る料理ですが、清貧の暮らしらしく、粗食そのものです。

本日の晩御飯は玄米ご飯(大体1合近く食べます)、豆腐味噌汁(豆腐は近所の個人商店で買った木綿豆腐と厚揚げです、味噌はジョホールバルのジャスコで買った赤味噌と友人が分けてくれた白味噌です。)、たくあん(これもジョホールバルのジャスコで購入)、それから近所で買った魚の揚げ物です。自分が作ったのはご飯と味噌汁だけですが。。。

晩御飯のおかずはたまに近所で買います。ライスも売ってますが、私は結構な量を食べ、割高になってしまいますので、基本的に家でライスを炊いて、1、2種類のおかずだけ買ってきます。

おかずは日本同様プラスチックのごみが出るので(ビニール袋に入れられ、さらに手提げのビニール袋までくれる)、これが嫌で、弁当箱持参で買いに行きます。

2011年9月2日金曜日

落穂拾い

私が勤めていたH社では、落穂拾いというものがあります。これは失敗(落穂)に対し隠さずに向き合い(拾い)、その失敗から学ぶということです。年に数回主に大きい事故(ミス)案件を取り上げ、それを分析、原因を究明して、再発防止すると共に、今後の役に立ちます。

12年半働いただけあって、私はこの精神がしみじみ身に付いています。

パームの収穫の時に、高い木から落ちてくるせいもあって、熟すぎた実がポロポロ剥がれていきます。

あまり時間がないのか、面倒くさいのか、基本的に収穫の方々がかたまっているパームそのものしか集めてくれません。

これは実にもったいないので、それを一粒一粒拾い上げます。

一日にして、数十キロにもなります。ちなみに10キロ集めれば大体ワンタンメン2杯が食える金額です。

落穂拾いの話でした。。。

2011年8月31日水曜日

国慶日

今日はマレーシアの国慶日、日本語的に建国記念日のことです。ちなみに昨日がラマダン明けで、昨日、今日はマレー系の新年にあたる日で、そのため明日が振り替え休日となります。これとは全く関係ないのですが、この時期は学校関係が一週間の休みで、学生にとって今年は休みが三日損したことになります。

実は私はこの国慶日の三日後に生まれたので、そこから”慶”という一文字を取って今の名前となったそうです。

小さい時の記憶ですが、この日は首都クアラルンプールで軍事パレードなどのイベントがあり、テレビでは生中継放送をします。今も多分変わらずやっていると思いますが、テレビは見ないので、あえて確かめずにいます。

日本との違いは(単に自分が気づいてないのかもしれないが)、街中のところどころに国旗を飾ってあるのはよく目にします。

自分の家から見えるホテルです。


そして近所の民家も国旗を掲げるています。

愛国心ですね。

私もある意味では自分の国を愛しているから、帰ることにしました。

2011年8月22日月曜日

少しだけお兄ちゃんになった

本日4歳になりましたゆうりです、マレーシアの名前はゆうりではなく、哲希(ツェーシ)です。苗字も日本の方はママと同じだけど、マレーシアの名前はパパと同じです。ママは僕のことをゆうくんって呼んでるけど、パパはあくんくんって呼んでいます、それは私がまだ赤ちゃんの時によく”アクン”、”アクン”って言っていたそうです。まぁ、名前に関してややこしいけど、もう慣れています。

ケーキは自分で選んだの、好吃よ!

パパからもらった誕生日のプレゼントはこれ。


えっ、またプール?
そうです、だって前に使ってたプールが壊れたんだもん、それでパパにリクエストしたの。
このプールは前のより少し小さいけど、ボールが付いてて楽しいよ。


早く5歳になりたい~。

2011年8月19日金曜日

生活を楽しむ

私が以前町内会の役員をしていた頃、町内に木を植えるという計画があって、一部の住民から反対の声が届き、落ち葉が自分の家に入り、その掃除が大変というのが主な理由でした。

当時の会長さんはそれに対して掃除も生活の一部だとおっしゃっていました。

実は今借りている家の隣に大きな木が立っています。

当然のように、毎日落ち葉があります(風の強い日はもっと凄いです)。

毎日掃除はしませんが、別に嫌だとか、大変だとか特に思いません(もちろん良かったとも思いませんが)。まさに会長さんの言うとおり、掃除は生活の一部です、落ち葉があろうかなかろうか私は掃除をします、落ち葉があることによって、掃除に費やす時間、体力は増えますが、それも含めて生活そのものです。

私にとって生活とは、椅子に座れば自然とご飯が出てくるものでもなく、キーをひねれば目的地まで連れててくれるものでもなく、自分の手、足を動かしながら、衣食住行をなしていくものだと思っています。

今日も生活を実感しながら、過ごしています。