2011年10月31日月曜日

しないこと

2年前のクリスマスの少し前、私は非常に落ち込んでいました、とても家には居られなくて、近所の本屋へ出かけました。それまでほとんどスローライフの本を読まなかったのですが、少しでも心を落ち着かせるため、それ関連の本を手に取り、立ち読みしました。

その時に出会ったのはこの一冊でした(後日別の本屋で購入しました)。

私は今まですることのためにいろいろ頑張ってきました、高い学歴、申し分のない収入を手にしました。しかしまさにこの本の帯に書いてあるように、「すること」に追い回される人生でした。

たとえば、私は以前とても時間が足りないと思って、”3時間睡眠”の本を読み、本気で実践しました。しかし、さすがに睡魔には勝てず一日で挫折しました(それによると、まず24時間を寝ないことから始める)。

この本に出会ってから(これがきっかけで、いろいろな本を読みました)、私は少しずつゆとりを持つようになり、私なりの人生の意義を悟るようになりました。

ちなみに今では睡眠のメカニズムと東洋医学と統計学を合わせ、夜9時半から朝5時までの7時間半の睡眠を取っています(これについて今後書きます)。

しないことによって、ものを買わなくて済みました。しないことによって、多くのお金が必要なくなりました。しないことによって、時間の余裕ができました。しないことによって、人生が楽しめるようになりました。

ちなみにその年、そして翌年のクリスマスはじぃさんと二人で過ごしました、別にそういう趣味はありませんが^^;。今年のクリスマスでは私は家族と過ごすでしょうが、じぃさんもぜひ将来になる家族と過ごしてください。。。

2011年10月28日金曜日

手提電話

昨日の夕方に携帯電話についてのブログを書こうと思って、自分の携帯電話の写真を取ろうとしたら、いつも携帯電話を置いてある場所に携帯電話がない!もしかして、もしかすると、やっぱりありました、洗濯タライの中にありました。。。(手洗いなので、一旦タライに洗濯物を浸け置きする)

隣国のタイでは街中が水没で大変のようですが、こちらは携帯電話が水没して大変気持ちがBiru(ビル、マレー語は青の意味)です。

今日妹から要らない古い電話機をもらって(借りて?)、自分のシムカードを入れ、一応復活しました。あまり詳しく分かりませんが(詳しく知りたい気もないのですが)、機種変更の場合、日本では携帯電話ショップに行って、何かいろいろいじってもらわなければならなかったのですが(もしかして新しい世代の携帯電話は必要ないのかもしれませんが)、ここでは単にシムカードを入れれば、すぐに使えます。

左が水没した前の携帯電話で、右が女性っぽくピンク色の古い新しい携帯です。

世の中スマートフォンが流行っているようですが、いっそうのことスマートフォンに変えようと思った--ーことは一度もありません。逆にこれを機に携帯電話を止めようと思いましたが、まぁ、なかなかそう簡単には行きません。

でも日本にいたときに比べますと、携帯電話への依存率がものすごく減りました。インターネットは設定すれば使えるらしいのですが使いませんし、Eメールもできないようです。使っているのは通話とSMS(日本でいうショートメール)だけ、しかもSMSは中国語の入力があまり得意ではないし、ここの文化もメールより直接話す方がほとんどですので、本当に原始的な使い方です。

昨日”年収100万円で幸せに暮らす”というネットニュースを目にしました、清貧の暮らしをするなら、決して難しいことではありません、携帯電話の例を取りますと、スマートフォンにより、生活が便利になりましたが、端末の代金、月々の通信料のために、さらに多くのお金が必要になります。それをいうと、普通の携帯電話でも若干少ないのですが、端末の代金と月々の通話料がかかります。そういう意味では、私はまだ本当の清貧の暮らしをしていないのかもしれません。

2011年10月15日土曜日

じぃが来た-別れはいつもつらい

最終日の朝、私がホテルに合流し、2人分の朝食付きなので、いただいちゃいました。

ホテルをチャックアウトした後、かつて日本人グラブのあるところに行きました。放浪詩人金子光晴がバトゥパハットやこの日本人クラブのことについて著書「マレー蘭印紀行」の中で書かれています(金子光晴 日本人クラブ を検索すると、もっといっぱい情報が出てきます)。

もちろん私も持っています。少し日本語的に難しいですが、何とか読めました。


ここの3階の角部屋は金子光晴がここに来ると必ず泊まる旧日本人クラブです、今はツバメの養殖場となっていますので、上には上がれません。

 旧日本人クラブの建物の目の前は税関です(この日まで知りませんでした--;)、金子さんはよくここで他のアジアの国とバトゥパハットを行き来していたそうです。


その後もやは定番コースとなっているパーム園の見学、昼食を取った後若干の買い物をして、この4日間の旅でだいぶお疲れのじぃ(お年寄りですから。。。)のために、泰式マッサージを受けに連れて行きました(1時間半のコースで約2千円ちょっと、私は受けませんでした)。

午後4時、クアラルンプール行きのバスに乗って、じぃが去りました。

この4日間は私の平凡な日々に少しだけ変化をもたらしました、でもすぐまた平凡な日々が続くでしょう。ぜひまた来てください、一人ではなく。。。(この話はもういいです)、そしてバトゥパハットはもう見るものはないので、違うところに行きましょう^^;。

完

2011年10月14日金曜日

じぃが来た-初めてのバトゥパハット

マラッカからのバスは2時間ほどでバトゥパハットに着きました、KLからマラッカも同じく2時間ですので、マラッカはまさにKLとバトゥパハットの中間点です。ちなみにKLから直接バトゥパハットに行く場合は、約3時間で済みます。

マレーシアが4、5回目のじぃでも、さすがにバトゥパハットは初めてでした。バスターミナルから歩いて2、3分にあるホテルに予約なしでチェックインしました。ちなみに料金は1~2人(2人分の朝食付き)で約2,600円でした。いわゆる”ホテル”であれば、このぐらいが一番安く、”旅館”であれば千円ぐらいで泊まれます(この晩はじぃだけホテルに泊まり、私は家に帰ります)。

歩いて10分ぐらいのところでワンタン麺を食べたあと、買い物ツアーが始まります。日本人から見ると、ここの物価は実に安いです(物にもよりますが)。じぃは物が溢れているねって言ってました、そうです、マレーシアも大量生産の時代に入りました。

夕方はうちの奥さんと子供も一緒で、バトゥパハット川沿いのフードコードで晩御飯を取りました。

夕日の写真を撮るじぃの姿が何気に侘しい感じがします(またか)。

 ここのフードコードは小さい時に父がよく連れててくれた。

その晩ホテルの部屋でまた語りながら赤ワインを1本飲み干しました(これで三日連続の赤ワインでした、私の人生の中では恐らく経験したことがなかった。。。)。

つづく

2011年10月13日木曜日

じぃが来た-マラッカ観光

マラッカに向かったのは、最終目的地であるバトゥパハットの中間点で、それに世界遺産がありますので、観光にうってつけの地です。実は妹が独りでマラッカに3LDKの家に住んでいるので、その晩の宿代が節約できるのです^^;。

マラッカに着いたのは夜の7時半で、妹に車で迎えに来てもらい、じぃのリクエストで、ニョニャ料理を食べに行きます。晩かったせいで、食べたいご飯ものが売り切れたが、何とかニョニャの麺を口にできました。

その晩、妹の家で3人でまた赤ワインをほぼ1本飲み干しました(これで二晩連続の赤ワインです)。

次の朝、これまたじぃたってのリクエストで、屋台でナシレマ(ココナツ入りご飯)、焼き魚、ロティチャナイを食べました。

それからマラッカといえばここという場所に行きました(以前にも紹介しました)、正直文化遺産自体はあまり大したことはないのですが、世界文化遺産に登録したことで、周辺の発展が凄まじく、町が随分きれいになりました。ここはKLとはまた一味が違うので、マレーシアに来るならぜひ行って欲しいところです。
 

じぃの寂しげな後姿です、ぜひ終身の伴侶を見つけて、二人で旅をしてください(大きなお世話か)。

結局マラッカ観光は2時間ほどで終わらせ、11時の長距離バスに乗ってバトゥパハットに向かいました。

つづく

2011年10月12日水曜日

じぃが来た-KL観光

次の日、ホテルの朝食(定番のビュッフェ)を済ませた後、さてどこへ行こうかと悩みます。じぃはすでにマレーシアは4、5回目で、私もあまり観光に興味ないのですが、滅多に来ないクアラルンプールにせっかく来たので、どこか行こうと、私が日本から持って帰った日本語のガイドブック--;を見て、観光する場所を決めますが、決まりませんでした。。。

じぃの提案で、KLタワーに登ろうということですが、料金が高い(38リンギット、約千円)ので、私が却下しました^^;。とりあえず同じ高いということで、名物のペトロナスツインタワーのタワー間にあるスカイブリッジに向かいました、当然これはただです。ホテルから一駅のKLCC駅に降り、
駅ビル?(タワーの一部らしい)になじみの店がいっぱいありました。

とりあえず写真に収めたのはこちらです。

ツインタワーに着き、目にした看板によると、スカイブリッジは改装のため閉鎖中だそうです(ウィキペディアにも書いてありますね)、が~ん。

最終的に観光巡回バスに乗りましたが、これが大ヒットです。ちなみに料金は24時間乗り放題で観光客が約千円で、マイカード所持の人は(国民や就労ビザ者など)その半額です。

時間はあまりないので、ほとんど降りませんでしたが、唯一行ったのはナショナルモスクでした。
(じぃに見とけって言われましたから^^;)

違う角度の写真です。

短パン、タンクトップなど露出の多い服装だと、こんな被り物をさせられます(私たちはセーフでした)。

お祈りの広場です、ステンドグラスなどの内装がその国の文化を演出します。

リゾート地に行くのが目的ではなく、マレーシアを観光するなら、この観光巡回バスが超おススメです。

午前中いっぱいはこのバスに乗って、昼食はホテルの近くで取りました。道路の渋滞、電車の遅延とかはありましたが、TBSで長距離バスでマラッカに向かいました。

2011年10月11日火曜日

じぃが来た-久々の再開

飛行機の到着まであと3時間、この日はまだ野菜ジュース1杯しか飲んでませんので、とりあえずフードコードに行き、何か食べ物を探します。最初はトムヤムスープを注文しましたが、店員さんがお金を数えていて、シカトされました。そこをやめてデザートコーナーで並びましたが、店員さんが私よりあとに来た人の注文を取り、腹が立って食事をやめました。しばらく空港ロービーでうろうろして、やっぱりおなかがすきますので、再度先ほどのデザートコーナーに並び、やっと自分の番になって注文したら、同じコーナーの違うカウンタで頼んでって言われました。
(日本が懐かしいT_T)

結局何も食わず、ひたすら飛行機の到着を待ちました。

じぃとは私が日本を離れる4月5日の見送りに来ていただきましたので、ちょうど半年ぶりの再開となりました。

空港からホテルまでタクシーを利用しました、実は2人以上の場合電車よりも料金が安いです。タクシーは空港内のタクシーチケットカウンターで行き先を告げ、チケットを買い、タクシーの運転手さんに渡すだけ、ぼられる心配は全くありません。

泊まったのはこちら、元日航ホテルのインターコンチネンタルホテル(五つ星)です。

料金は高いと思うでしょうが、高いです、少なくとも私にとってです。この一生は泊まることはないだろうと思いましたが、じぃのおかげさまで、いい思いをさせていただきました。ちなみに朝食2人分を追加して一泊1万円、日本に比べるとずいぶん安いでしょう。マレーシアのホテルは部屋数で料金が決まりますので、1人でも2人でも基本的に料金は同じです。

ホテルにチェックインのあと、近くの店でローカル料理を食べ、その晩部屋の中で会社のことやら何やら語りながら、赤ワイン1本を飲み干しました。

2011年10月10日月曜日

じぃが来た-KLへGO!

最近ブログの更新が滞っている?実にいいことです、あまりネットに頼らない生活を目指していますから。

先週の金曜日(10/7)に、私が勤めていた会社の当時の上司”じぃ”がわざわざ私を訪ねにマレーシアに来てくださいました。この日に来ることは1年前に知っていました、私が会社を辞める前にすでにチケットを予約し、再開の約束をしていました。

会社に入ったら年休が取れない恐れがあり、じぃをいろいろ案内するため、来るまで会社に就職しないことにしました(すみません、ウソです)。

約17時着の便ですが、だいぶ余裕の持って、10時にバトゥパハットからバスに乗ってクアラルンプールの国際空港(KLIA)に出向きました。

バスはノンストップで3時間弱でバスターミナルに着きます、このターミナルは今年にできたばかりで、その名もTBS(Terminal Bersepadu Selatan、南統合ターミナル)です。

中に入りますと、空港と見間違えるほど、大型のフライト(ラン)情報のスクリーンが目の当たりにします。

チケット売り場も立派です。 

そして入り口に警備員(警察?)、チケットを持ってないと入れないこの完備したセキュリティ。

TBSから橋一本を渡って、そこは電車乗り場です。KLIAへは日本でいうスカイライナーか成田エクスプレスのような特急電車しかなく、料金がめちゃくちゃ高いです。30分に1本のペースで所要時間も30分ぐらいいです。

KLIAに着いたのは約14時です、17時前あと3時間、さてどうやって時間をつぶそうかな。


つづく

2011年10月2日日曜日

同化

妹が先週から海外へ遊びに行ってた関係で、結婚用品店の留守番を頼まれました(もちろん無賃である)。接客だけなら別に問題ないですが、いろいろある結婚のしきたりが良く分からないので、ハラハラドキドキで、何とかこの一週間を持ちこたえてきました。

先日、店を開けに行った時、ちょうどバイトのおばさんが、旦那さんの運転するバイクに乗って現れました。次の日に、おばさんが私にこう言いました。昨日家に帰ったら、主人に何で君の働いている店に日本人を雇ったのって言われました。

マレーシアに戻ってから、たまに日本人によく似てるねって言われました、しかし、それは日本に20年間暮らしてたという話をして、恐らく先入観でそう感じたのだと思います。しかしバイトのおばさんの旦那さんには、私のことについて全く分からなかったのにそういう風に言われると、やはり私には日本人の雰囲気をしているのかな。。。別に禿げてないし、七三分けしてるわけでもないし、ちょび髭あるわけでもないし(失礼なぁ)。

これから真のマレーシア人に戻りつつあります。。。