よく暇だと言われますが、暇です。でも暇はいけないことなのかな?現代人は如何に忙しくするのが使命のようで、忙しければ忙しいほど生活が充実だと思い込みます。
私は会社員時代にある期間では暇になります、それは仕事のピークが過ぎたとか、たまたま仕事が少なかったとかではなく、やっていた仕事の効率を上げたからです。私は早く家に帰りたくて、開放されたくて、仕事の効率を上げ、そのため、今まで残業で対応してた仕事が定時までに終わることができました。しかし会社から見ると、何であいつがいつも定時で帰るんだ、もっと仕事を与えろってことになります。それでまた忙しくなって、しかしそのうちまた暇になりますが、ずっとその繰り返しでした。私はよく会社員はビール会社と同じだと例えます、ビールが高い税金をかけられ、それでビール会社が発泡酒を発明しました、しかし発泡酒もやがて同じように高い税金を課せられる対象となり、ビール会社がまた第三のビールを世に出しました。暇はこの社会では決して許されない行為の一つだと思われます。
人は暇であることに罪悪感を感じるようです、せっかくの休暇でも、何かやらないともったいないとか、それで大体出かけることになります。家に居ても、掃除や洗濯に時間を費やし、結局暇な時間はまるでありません。会社はどうって聞かれた時に、暇ですねというと、大体マイナスのイメージを感じます、相手ではなく、言った本人がそう感じます。暇はいけない、儲からない、恥ずかしいことのようで、それで如何に忙しくしなければならないと常に考えるようになってしまいます。
会社の社長である高校のクラスメートの一人が、分店を開きたいので、その分店を私に任せたいと話が持ちあがってきました。話を聞くと、信頼ができ、暇な人間はおまえしかいないって。その仕事はパーム園の給料の数倍ですが、もちろん断りました。第一、パーム園の収入は少ないながらも、別に生活に困ってません。それにせっかく暇な状態でいるのに、忙しくなるのはまことに本望ではありません。
瞑想を例にしますと、頭を空っぽにし、呼吸を意識します(いろんな瞑想法はありますが)。一見無駄な行為でも、実に奥深いです。暇、それは何もすることはない、無為であります、実は人間、自然界において、大きな意味をもたらすのかもしれません。